札幌 整理収納アドバイザー&色育インストラクター『きみちか』

記事一覧(2)

実家にいるときの子供部屋

暮らしカスタマイザーきみちかです小さい時から片付けが得意だったか?昨日の続きです高校生くらいにはあんなに欲しくて手に入った時には嬉しかった学習机を捨て、部屋にはオーディオボードと小さい折り畳みのテーブルを置きました。オーディオボードにはコンポを置いて雑誌や教科書はその下に。6畳の部屋ですからベットに背を向けテーブルを置くと右手を伸ばせばコンポも操作出来るしごみ箱にも手が届きます友達が来るとベットカバーを枕まで覆いかぶせてソファー代わりにしてました。天板がバタンと畳めて隠せる机を手放した方がごちゃごちゃした物を置かなくなったような気がします。スッキリした部屋にしたくて物を整理したときに一番心が病んだものは両親が旅行にいって買ってきてくれた陶器でできたオルゴールの人形です。もらった時に趣味じゃないのに高そうだなぁと思ったのをはっきり覚えていますし当時パートしていた母の時給を考えると、どんな想いで買ってくれたんだろうと私に重くのしかかり趣味じゃないと思ってしまう自分もすでに返品出来ない事実もずーっと罪悪感にとらわれるような気持ちがあり、割れても直しましたし、結局は長く自分の持ち物であった年数分別れも慎重になりました。それでも1つ1つ物と向き合い整理した記憶があります。反抗期が長かった私はアルバイト代を貯めていつかこの家を出る!小さい頃はバブルで景気の良い商社マンを親に持つ友達のように人と同じように物をなんでも買ってもらえなかった私は「なんでも好きな物を買える仕事につこう」そう考えて育ちました。その割には勉強しなかったなと今では矛盾を感じますが(笑)就職して、念願の1人暮らし!と思った時期には親は簡単に「出ていっていいよ!」とは言わず結局実家から仕事へ向かう日々。私はせめて居心地は良く!と私はその収入で割と安易に自分の好みで家具を買ったりしていたと思います。そうそうこの頃には東京へ出て行った兄の部屋をクローゼット代わりに使って(服屋ですから服は増えていました)自分のクローゼットの扉は外してそこにテレビを入れて部屋を少しだけ広く使えてもいました。そして23才両親は家全体を建て替えることになり3か月の仮住まいをマンションですることになりました。4.5畳の部屋にその夏に使わない季節の物などはダンボールに入れたまま生活をして新しい家へと引っ越しました。~続く~

小さい頃から片付けができたか?その1

暮らしカスタマイザーきみちかです整理収納アドバイザーという職業につくと決まって「小さい頃から片付けが得意だったか?」と質問を受けます小さい頃、片付けで怒られた記憶がないのは、得意だったという感覚はなくておもちゃや文具にしても、持ち物が少なかったから。そう感じています。作った作品などを自分で捨てた覚えもないけれど、そんなに執着してたこともなかったかもしれない。昭和49年生まれほとんど外遊びをして毎日を過ごし家の中出遊んだ覚えがあるのは紙の着せ替え人形あとは兄がいたのでパッチブロック超合金兄のボードゲーム(負け前提でやらされるのがとても嫌でした)あと あれあれ鉛筆で点をたくさん書いて?点から鉛筆ではじいて陣地を広げていく紙と鉛筆があればできる遊びも印象に残っています。服は前日に用意して枕元に畳んでいた記憶がありますが毎日の事ではなかったような気がしますがとにかくそんなに片付けについて注意されるような子供ではなかったというより、時代ではなかったような。。。親が家を建てて1人部屋になったときにベット いとこのおさがりの学習机があり新築の記念なのか勢いなのか父が奮発して6畳の子供部屋なのにテーブルと椅子の三点セットを買ってくれたことを覚えています(椅子一点は兄の部屋に)当時の家はリビングにストーブがあるだけで各部屋は寒かったので、ポータブルストーブを置いて 歩くスペースはほんの少し。壁には左に90センチ幅の本棚と扉を共有して右に下段が引き出しになったクロークが造り付けでありました。スキーウェアとかじゃなければ服はそこで管理していたと思いますそれでも1人部屋椅子とテーブルセットと、いうだけできちんと綺麗に使おう!って意識したようなしてないような(笑)思春期になり学習机はいらないせっかく買ってくれた椅子とテーブルセットもいらない色は黒基調で!自分の城を理想にしていくことに親は特に反対もしなかったからこそ理想を追い求めていけたような気がします。長くなったのでまた続きを書きたいと思います。~続~